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質問まとめました。

 bookloverさんへの折り返しの質問です。

 bookloverさんの社会の鋭い分析にはとても共感するし、敬意を表したいわけですが、やはりどうもひとつ大きな疑問が残ります。一言で言えば、「働かない」ということは目的なのか、ということです。私はむしろ「働かない=怠惰」であることはひとつの戦略であると考えていました。確かに私も労働は嫌いだし、「勤勉」の規範にはうんざりなのですが、bookloverさんのように自分が「働かない」で生きる環境を作ることを目的としているかといえば、そうじゃないと思います。したがって「バカ」を啓蒙することで自分の首を絞める、という発想自体が私にはありません。ですからbookloverさんが仮に、自分の「働かない」生き方を新しい有閑階級(エリート)としてアピールし、戦略的に「ニート」を肯定するとしたらそれはおもしろいと思うし、そのとき結果的に親の世代なり他者たちがいままで労働してきたその蓄積を、浪費/享受している、と考えているならそれは理解できます。
 ですが、その「働かない」という生き方を維持するために、「バカ」を「バカ」のままとどめておかなければならない、となってくるとそれは反動的な立場だといっていいんじゃないでしょうか。つまり結果的に資本主義社会自体は維持させるべきだ、ということになるわけですよね。「バカ」が働くシステムは維持した上でそのおこぼれにあずかると……。ということは、bookloverさんは資本主義システムの否定ではなく、ご自身の「働かない」生き方を実現することが目的だ、と考えていると思っていいのでしょうか?
 というのも、私のほうは資本主義の否定という目的がまずあって、そのためにまあ、こうして文章も書いているわけです。で、私の文章が啓蒙の役割を果たしていたとして、仮にそれを読んだ一人の人でも資本主義の押し付けてくる規範を相対化させることができるのであれば、社会の資本主義化以前に王侯貴族、宗教、祝祭などが保持していた非生産的な価値の権威を取り戻すという大きな課題に一歩近づくことになると思うのです(ニートの肯定もそのための戦略と考えています)。だから、「バカ」を「バカ」のままとどめておかなければならないというシステムの維持には与したくないし、それが自分の首を絞めることにつながる、とは思えないのです。私自身は「働かない」生き方そのものは目的にしていないからです。働かずにすめばそれにこしたことはないかもしれませんが、忙しく働いたっていいじゃないか……それよりも生産の道具と化した社会に、イレギュラーな非生産的価値を少しでも多くぶち込み、おもしろいものにすることが優先だ、と思ってるのですが………いかがでしょうか。
03:55 | 思想など | comments (1) | trackbacks (0) | page top↑