Sun.

まあ、話を聞いてください。

なんだか随分イジワルなやなやつにされちゃったみたいだけど、一言だけ言わせてください。

 私はbookloverさんを傷つけたり、不愉快な気持にさせたくてこんな文章を書いてるわけじゃないってことだけは理解して欲しいのです。確かに bookloverの考えを批判し、失礼なことを言ってるのも承知してます。でもそれはbookloverさん自身を攻撃したいってことじゃない。あくまでも議論の上のことです。だからこそコメントに (笑) なんてことも書き加えてフォローもしてるんですよ。
 bookloverさんが私と似た考え方をもっていて、手応えのある議論ができる人だとにらんだからこそ、こちらも真剣にbookloverさんの考えの中に私が感じた疑問や矛盾を率直かつ乱暴に、またイヤラシく追求してるわけです。私がそうやって率直で痛い物言いをするのは、bookloverさんから辛辣な反論を引き出したいからであって、bookloverさんを不快にしたいからじゃない。そういうギリギリのやりとりからしか新しいものは生まれないと思うからです。だから、bookloverさんだって厳しい反論を私にしてくれていいのです。それによって私が傷つくことはないですから。
 bookloverさんは、私がbookloverさんのことを勝手に解釈して、想像だけでものを言ってるとおっしゃっていますが、考えてみてくださいよ。誰だって他人の頭の中なんて想像することしかできないでしょう。だから納得いかない考え方に出合ったとき、相手がどのように考えたかを必死に想像することしかできない、で、お前はこう考えてるんだろう、と議論を吹きかけるわけです。それにたいして、冗談じゃない、こう考えてるんだ、という反論が出てくる。こういうやりとりからお互いのこともわかってくるし、惰性に流れがちな知性を刺激して、今まで考えたことのないようなことも考させえたりする。……容赦ない議論は新しい視野を開いたり、いろいろなことを前進させると思うのです。
 なれ合いの、当たり障りのない議論をすることだってできますよ。でもそんなとこからは何も生まれやしない。それこそオナニーみたいな慰め合いじゃないですか。おもしろくも何ともない、それじゃあ意味がないでしょう。
 だからこそ私は率直な疑問をぶつけたわけだし、お互い痛みを伴った緊迫したやりとりを望んだのであって、別にbookloverさんをやり込めたいとかそんなことじゃないです。そういうのが議論というものであり、「刺激的なやりとり」ってものじゃないでしょうか。
 それをbookloverさんがすべて不愉快にまるで私がすげーイヤな奴みたいに感じてしまうとすれば、私はもう議論の進めようがありません。もちろん bookloverさんが不愉快だというのなら私はすぐに引き下がります。ただ、例の「資本主義の否定」のことは誤解されたくないので書かせてもらいたいとおもってますが。


 私もいろいろやらなければならないことをもつ身ですから、すぐにアップはできないと思います。遅くなって申しわけないですが、ちょっと待ってくれたっていいじゃないですか。こないだbookloverさんが本を読むと言ったときだってこっちはおとなしく待ってましたよ。

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03:45 | 思想など | comments (10) | trackbacks (0) | page top↑
Sun.

誤解をときつつ……

 さてbookloverさんに質問のお答えをいただいたのですが、「働かない」ことは目的だ、ということ。したがって「働かない」ことは戦略として考えているわけではない、ということでした。それは私自身の考えは違うものなのですが、まあそのことを問題にする前に少しbookloverさんの誤解をといておきたいと思います。

 まず、例の『「バカ」を啓蒙することで自分の首を絞める、という発想自体が私にはありません。』という言葉をもう一度説明させてください。
 つまりbookloverさんは、「バカ」たちを啓蒙して、その結果みんなが労働を忌避するようになってしまったら、誰も働かなくなって、結局私たち自身が働かなければならないはめに陥ってしまうぞ、という究極的状況を仮定して、そのことを「首を絞める」という言葉で表現した、と私は理解しているのですが………
 そうだとすると、確かに「働かない」ことを目的にしているbookloverさんにとっては、啓蒙が「首を絞める」ことにつながる、というのはわかります。ですが、「働かない」ことを目的にしてない私にとっては、「首を絞める」ということにはならないと思うのです。だって「働かなくてはならないのなら、働けばいいじゃん。」って思ってるわけですから。
 だから私が言いたかったのは、啓蒙が自分の首を絞めるという発想は「働かない」ことを目的にしているbookloverさんだけのもので、働いてもいいと考えている私には当てはまりませんよ、ということです。

 次に、bookloverさんさんが嫌いな「ねばならない」とか「べき」とかいう言葉遣いのことですけど、誤解を引き起こすようであれば他の言葉を選びますが、よく読んでいただければけっして「価値観の押し付け」として使ってるのではないとわかっていただけると思います。
 『その「働かない」という生き方を維持するために、「バカ」を「バカ」のままとどめておかなければならない……』と私が言った理由を説明しますと………
 『「バカ」を啓蒙することは自分の首を絞める……』というbookloverさんの考え方は、別の言い方をすると『「バカ」を「バカ」のままとどめておいたほうがbookloverさんの「働かない」生き方には都合がいい』ということですよね。つまりこれはシステムを肯定している発言だと思うのですよ。いくらbookloverさんが、『「バカ」のままほっとけば』いい、と彼らへの不干渉を主張していたとても、それはどうもアヤシイ。だってそうでなきゃ「啓蒙が自分の首を絞める」なんて多少なりとも危機感を含んだ言葉は出てくるわけがないでしょう。ですからbookloverさんの本音は「バカ」にはそのまま働いていて欲しい、という「現状の維持」にあると私には思えたので、乱暴であったかもしれませんが「「バカ」を「バカ」のままとどめておかなければならない……」という言葉を使ったのです。また『資本主義自体は維持させるべき』という言葉も同じ理由から使いました。



 確かにbookloverさんは、「バカ」に対して『価値観の押し付け』はしていないかもしれない。そして『「バカ」なら「バカ」のままほっとけば』いいと、あくまでも彼らへの無関心、不干渉、というスタンスをとってはいますが、その実bookloverさんの発言には「バカ」の労働を「働かない」という自分の立場の維持のためにこっそり利用したいという本音が見え隠れしているのです。
 19世紀のブルジョワジーは労働者に教育を与えるべきかどうかずいぶん議論したと言います。高い教育を労働者に与えたほうが、クオリティの高い労働力が得られる、という考えと、労働者に知恵をつけると自分たちの立場を理解して、ブルジョワへの反抗を企てるのではないか、という疑惑の間でずいぶんと揺れ動いたようです。『「バカ」を啓蒙することは自分の首を絞める』と言うときのbookloverさんと、労働者を啓蒙すべきかどうか議論しているブルジョワジーの権力的な言説とは奇妙にダブって見えるのです。

 不思議に思うのは、微視的権力なんていうオシャレな概念を駆使して「ニート」を語っているときのbookloverさんは、反権力の立場に立っているようにしか見えません。はやしさんもいってたでしょ、「だって(ニートを)メチャクチャ肯定してるもん。」って。なのに『「バカ」を啓蒙することは自分の首を絞める』と言ってるbookloverさんは、まるで権力側に立って発言してるように見えるんですよ。(はじめてbookloverさんにコメントをいただいたときに私が感じた違和感の原因はここにあるんだと思います。)
 多分、このあたりがbookloverさんの考え方のミソなんじゃないかと私は想像します。「働かない」で生きるというご自身の立場を説明し認めさせようとするとき、bookloverさんは反権力的な立場から資本主義社会のシステムとその規範を罵っていますが、逆に「働かない」というご自身の生活を維持し、守ろうとするとき『「バカ」を啓蒙することは自分の首を絞める』なんていう権力的な立場から資本主義社会のシステムを容認するような発言をはじめるのです。
 そして、この二つの立場の分裂の不整合のつじつま合わせのために、奇妙に社会から距離を取ったような態度………たとえばニートを肯定も否定もしないだとか、バカ」なら「バカ」のままほっとけばいい、とかいったスタンスを取らざるを得ないんじゃないだろうか、と私は疑うわけです。

 そのへんの不整合は、こうしてWeb上に意見を載せるときにも露呈している。ご自分でも書いている通り、私には「啓蒙はお勧めしません」と言ってるのに、あきらかにbookloverさんの書くものは啓蒙の役目を果たすものになっている。もし本当に『「バカ」を啓蒙することは自分の首を絞める』と考えているなら沈黙を決め込めばいいのではないかと思うのです。
 こうして私と議論を交わすことで、私がbookloverさんの意見に納得し、「働かない」立場に改宗でもしたとすれば、一人よけいに「バカ」どもの労働の果実のおこぼれにあずかるやつが増えてしまって、まさにbookloverさんの首を絞めることになるわけですよね。どうもご自身の発言が、その目的を裏切ってしまっている………。
 また、bookloverさんは、テキストの最後のところで『………に関しては、すでにaraikenさんご自身でされてるではありませんか。このように私と非生産的な、刺激的やり取りをするなど。それで十分なんじゃないでしょうか。』とおっしゃってますよね。確かにその通りで、この言葉には共感しましたが、bookloverさんにとってこのやりとりは「首を絞める」ものでないのかと逆に私は心配してしまいます。この「非生産的な、刺激的やり取り」はbookloverさんにとっても刺激的な快楽であると思うんですが、啓蒙の危険性を考えるとこの快楽は断念して禁欲的になったほうがいいのではないでしょうか(笑)。

 少なくとも私の場合、自分の語っている反権力的な言説の内容と、「非生産的な、刺激的やり取り」がもっている、非生産的ゆえに反資本主義的な行為の快楽との間に矛盾や葛藤はありません。まあ、そんなこともあって、bookloverさんの「働かない」ことを目的にした生き方というのは、「快楽」と言いながらも、なにやら禁欲的な要素(労働らしきもの)が忍び込みはじめていて、それは本当に心の底から楽しいものなんだろうか、と私は疑惑を抱いてしまうのです。………いや、bookloverさんがそれでもこれは「快楽」なんだ、というのなら私は何も言えないのかもしれませんが………。

 長くなってしまったので、もうひとつ、「資本主義システムの否定」についてbookloverさんが誤解しているところ(まあ、私の説明不足が原因なのですが)は、後日説明したいと思います。
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