02.26.2005
タシスム讃

「闇の中に咲くあだ花というイメージは、彼の絵のみでなく、彼の存在をも意味する。オーストリアの世紀末の画家、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレの影を背負って、現代に生きる画家としてのフンデルトワッサーには、あだ花という言葉が一番よく似合っている。」 池和田侑子『闇から生まれた色』
フンデルトワッサーの絵に、エゴン・シーレとパウル・クレーの影響があることはすぐわかったけど、シーレよりも純粋で、クレーよりも生命力がある、と僕は思った。
02.26.2005
ブログとは?
『ブログを運営するのは殆どの人にとって仕事ではない。楽しいから、面白いからやっている、はず。だから多くの人にとっては趣味に属すると思われ、当然面白くなくなってしまえば続ける理由はない。しかしひきこもりのオレにとってはこれは趣味とは言えない。趣味とはあくまで仕事がある人のものだと思う。じゃあ何なのか?となるとよく分からないというしかない。というよりよく考えてみればブログを開設する人の心理自体結構謎だったりするんじゃないか?実はそこが一番重要だったりして、この心理の闇は相当深い。』 ( from 『大ブロ式』)
………というsantaro_yさんのエントリーに触発されて、ブログ(僕にとってのだけど)って何?っていう問題への自分なりの答えを述べてみたい。
もう20年も昔のことだけど、自分で絵を描いて、銀座の画廊を1週間借りて個展を開いたことがあった。当時の職場で、あるおじさんに「展覧会開いたんだって? で、絵は売れたのか?」みたいなことを聞かれたんだ。僕は純粋に自己表現のために絵を描いてたので、絵を売るという考えはまったくなかった。だから「いやあ、売るつもりで絵を描いてるわけじゃないんですよ。」と答えると、「何だ、じゃあ道楽みたいなもんか……。」と言われてしまった。
まあ、このおじさんみたいな感じ方っていうのは、ごく一般的なあたりまえの感性だと思う。つまり世間では、売るために絵を描くことは「仕事」になるけど、売る気のない絵を描くことは「道楽」だったり「趣味」でしかないってことだ。で、どっちかと言えば、いや、あきらかに、人生においてホンチャンなのは「仕事」のほうで、「道楽」とか「趣味」はあくまでも息抜きやお遊びでしかない。
描いた絵が「売れる=商品となって交換価値を生む」なら、絵を描くことは生産行為(労働)となるが、商品であることに無関心な場合、絵を描く行為は非生産的な浪費活動でしかない、ということになるのだ。さらに、商品をつくる生産行為(労働)は真面目で真剣な、肯定的な活動と理解されるが、浪費活動は無責任で、お気楽な………せいぜいリフレッシュのためのものでしかない………というあくまでネガティブな評価しかされないのだ。
これは、何度も書いてきたことだけど、資本主義社会の「勤勉であれ」という規範が内面化されたことによる感じ方だ。生産以外の活動は、資本主義社会下においては「無駄」であり「浪費」であり「怠惰」であるとして責められるべき悪である。
だが、芸術の表現活動というものはそもそもエネルギーの浪費、非生産的な消尽活動だったのである。そのような無目的に世界を彩る営みがなかったとすれば、僕らの生は、労働のための生という味も素っ気もないものにまで切り縮められてしまう。人間をそんな労働奴隷のような役割に追いつめる資本主義社会に一石を投じたい、という切実な(笑)願いもあって、僕は「無駄」な絵を描いていたのだ。
それはいいとして、ブログなんだけど………まあ、僕的には絵とまったく同じものかな、と思っている。つまり非生産的なエネルギーの浪費活動だと思っている。したがってそれは資本の立場からすればまさに「無駄」なことであり、無意味な「道楽」に過ぎないだろう。実際こうしてパソコンの前に座って文章考えるのって随分時間がかかることで、こうしてる間に働いてれば金になるなあ、っていつも思っている。が、アーティスト魂からすれば、その「無駄」なことこそ追求しなければならない目的だったりする。だって、やっぱり無駄な活動こそが面白いというか、大きく出れば宇宙の存在自体、一つの巨大で無駄な遊びじゃないか、と思うわけだ。
だから、santaro_yさんの言葉をちょっと訂正したいのは、「しかしひきこもりのオレにとってはこれは趣味とは言えない。趣味とはあくまで仕事がある人のものだと思う。」というところで、たぶんsantaro_yさんにとってブログは、かなり切実な、なくてはならないコミュニケーションツールだと思うんだけど、それを「趣味」や「道楽」とだけ見なしてしまうのは「仕事がある人」なんじゃなくて、「仕事(生産労働)こそが人生にとってホンチャンの、真面目に追求するべき価値だ、と思ってる人」、つまり資本主義的な「勤勉」の規範を内面化している人、なんだと思う。だって、僕は馬車馬のように仕方なく毎日働いてるし、ひきこもっているわけではないけど、僕のブログは自分にとってたんなる趣味や道楽ではないですから………。
ただ、ブログがすべてか、と言われるとやはりそうじゃないと思う。ブログにしても芸術(美術、文学、演劇、映画など)にしても、結局、表現のメディアでありコミュニケーションツールだ。それはフィクション(虚構)にすぎない………というのも虚構の中でならいくらでも自分をつくれるからね。確かに今現在の僕をいちばん雄弁に語っているのはこのブログなのかもしれないけど、だからといってブログに記事をを書くために生きてるわけじゃない。それは絵を描いていたときもまったく同じで、やはり身体をもった自分自身の生(実存とでもいうのか……)というものが一つの中心としてあるのかな、と思う。だからとりあえずは、ブログはツール、道具として考えていいと思う。(ただ、自分でも整理できてないんだけど、人間はあらゆる道具に囲まれて生きていて、道具と容易に共生関係をとることができるというか、一体化しているので、単純にそれらを道具と言い切っちゃっていいんだろうか、なんていう疑問は持っている。)とにかく僕は画家であるとかブロガーである以前に、やっぱり一人の人間存在であるわけで、絵にしろブログにしろ、その存在を充実させるための道具である、と考えている。
そんなわけで僕の場合もsantaro_yさんが言ってるように、ブログを書くことが「楽しいから、面白いからやっている」ってことは間違いない。だが、それはどうすれば楽しく面白いものになるか、というのはもう一つの問題だ。
個人的にはブログにのせたエントリーが、逆に自分を追いつめることができる限りで、それは面白いものになる、と思っている。自分自身に試練を与えるようなエントリーでなければ、わざわざブログを開設する意味がないかな、と。まあ、追いつめすぎて精神的に厳しいことになっちゃったんじゃしょうがないから、あくまでもその試練を楽しめる余裕があるかぎりで、という但し書きがつくけれど。
付け加えておけば、その条件を満たすなら、レスポンスがなくても全然構わない。誰も見に来てくれなければブログをやる意味ないけど、メディアやツールを用いたコミュニケーションの場合、レスポンス自体は目的じゃないと思う。絵や彫刻を展示したってほとんどレスポンスなんてないのと同じでね。レスが欲しいなら、誰かをひっつかまえてダイレクトに自己主張でもすればいい、と思う。
長くなっちゃうんで、このへんにするけど、ようするに僕にとっては「ブログを開設する人の心理」はごくあたりまえのことで、たいして謎とは思わない。それは金にならなくても絵を描いたり、詩をつくったり、歌ったり踊ったりするのと同じ、自己表現でありエネルギーの放出だ。それは非生産的な1つのアクション、たとえばニートであることや、ひきこもることもそうであるような、無目的的で積極的なアクションだと思う。
トラックバック [ブログに関する話]「沈黙のオーディエンス」について(2) 〜大ブロ式〜
………というsantaro_yさんのエントリーに触発されて、ブログ(僕にとってのだけど)って何?っていう問題への自分なりの答えを述べてみたい。
もう20年も昔のことだけど、自分で絵を描いて、銀座の画廊を1週間借りて個展を開いたことがあった。当時の職場で、あるおじさんに「展覧会開いたんだって? で、絵は売れたのか?」みたいなことを聞かれたんだ。僕は純粋に自己表現のために絵を描いてたので、絵を売るという考えはまったくなかった。だから「いやあ、売るつもりで絵を描いてるわけじゃないんですよ。」と答えると、「何だ、じゃあ道楽みたいなもんか……。」と言われてしまった。
まあ、このおじさんみたいな感じ方っていうのは、ごく一般的なあたりまえの感性だと思う。つまり世間では、売るために絵を描くことは「仕事」になるけど、売る気のない絵を描くことは「道楽」だったり「趣味」でしかないってことだ。で、どっちかと言えば、いや、あきらかに、人生においてホンチャンなのは「仕事」のほうで、「道楽」とか「趣味」はあくまでも息抜きやお遊びでしかない。
描いた絵が「売れる=商品となって交換価値を生む」なら、絵を描くことは生産行為(労働)となるが、商品であることに無関心な場合、絵を描く行為は非生産的な浪費活動でしかない、ということになるのだ。さらに、商品をつくる生産行為(労働)は真面目で真剣な、肯定的な活動と理解されるが、浪費活動は無責任で、お気楽な………せいぜいリフレッシュのためのものでしかない………というあくまでネガティブな評価しかされないのだ。
これは、何度も書いてきたことだけど、資本主義社会の「勤勉であれ」という規範が内面化されたことによる感じ方だ。生産以外の活動は、資本主義社会下においては「無駄」であり「浪費」であり「怠惰」であるとして責められるべき悪である。
だが、芸術の表現活動というものはそもそもエネルギーの浪費、非生産的な消尽活動だったのである。そのような無目的に世界を彩る営みがなかったとすれば、僕らの生は、労働のための生という味も素っ気もないものにまで切り縮められてしまう。人間をそんな労働奴隷のような役割に追いつめる資本主義社会に一石を投じたい、という切実な(笑)願いもあって、僕は「無駄」な絵を描いていたのだ。
それはいいとして、ブログなんだけど………まあ、僕的には絵とまったく同じものかな、と思っている。つまり非生産的なエネルギーの浪費活動だと思っている。したがってそれは資本の立場からすればまさに「無駄」なことであり、無意味な「道楽」に過ぎないだろう。実際こうしてパソコンの前に座って文章考えるのって随分時間がかかることで、こうしてる間に働いてれば金になるなあ、っていつも思っている。が、アーティスト魂からすれば、その「無駄」なことこそ追求しなければならない目的だったりする。だって、やっぱり無駄な活動こそが面白いというか、大きく出れば宇宙の存在自体、一つの巨大で無駄な遊びじゃないか、と思うわけだ。
だから、santaro_yさんの言葉をちょっと訂正したいのは、「しかしひきこもりのオレにとってはこれは趣味とは言えない。趣味とはあくまで仕事がある人のものだと思う。」というところで、たぶんsantaro_yさんにとってブログは、かなり切実な、なくてはならないコミュニケーションツールだと思うんだけど、それを「趣味」や「道楽」とだけ見なしてしまうのは「仕事がある人」なんじゃなくて、「仕事(生産労働)こそが人生にとってホンチャンの、真面目に追求するべき価値だ、と思ってる人」、つまり資本主義的な「勤勉」の規範を内面化している人、なんだと思う。だって、僕は馬車馬のように仕方なく毎日働いてるし、ひきこもっているわけではないけど、僕のブログは自分にとってたんなる趣味や道楽ではないですから………。
ただ、ブログがすべてか、と言われるとやはりそうじゃないと思う。ブログにしても芸術(美術、文学、演劇、映画など)にしても、結局、表現のメディアでありコミュニケーションツールだ。それはフィクション(虚構)にすぎない………というのも虚構の中でならいくらでも自分をつくれるからね。確かに今現在の僕をいちばん雄弁に語っているのはこのブログなのかもしれないけど、だからといってブログに記事をを書くために生きてるわけじゃない。それは絵を描いていたときもまったく同じで、やはり身体をもった自分自身の生(実存とでもいうのか……)というものが一つの中心としてあるのかな、と思う。だからとりあえずは、ブログはツール、道具として考えていいと思う。(ただ、自分でも整理できてないんだけど、人間はあらゆる道具に囲まれて生きていて、道具と容易に共生関係をとることができるというか、一体化しているので、単純にそれらを道具と言い切っちゃっていいんだろうか、なんていう疑問は持っている。)とにかく僕は画家であるとかブロガーである以前に、やっぱり一人の人間存在であるわけで、絵にしろブログにしろ、その存在を充実させるための道具である、と考えている。
そんなわけで僕の場合もsantaro_yさんが言ってるように、ブログを書くことが「楽しいから、面白いからやっている」ってことは間違いない。だが、それはどうすれば楽しく面白いものになるか、というのはもう一つの問題だ。
個人的にはブログにのせたエントリーが、逆に自分を追いつめることができる限りで、それは面白いものになる、と思っている。自分自身に試練を与えるようなエントリーでなければ、わざわざブログを開設する意味がないかな、と。まあ、追いつめすぎて精神的に厳しいことになっちゃったんじゃしょうがないから、あくまでもその試練を楽しめる余裕があるかぎりで、という但し書きがつくけれど。
付け加えておけば、その条件を満たすなら、レスポンスがなくても全然構わない。誰も見に来てくれなければブログをやる意味ないけど、メディアやツールを用いたコミュニケーションの場合、レスポンス自体は目的じゃないと思う。絵や彫刻を展示したってほとんどレスポンスなんてないのと同じでね。レスが欲しいなら、誰かをひっつかまえてダイレクトに自己主張でもすればいい、と思う。
長くなっちゃうんで、このへんにするけど、ようするに僕にとっては「ブログを開設する人の心理」はごくあたりまえのことで、たいして謎とは思わない。それは金にならなくても絵を描いたり、詩をつくったり、歌ったり踊ったりするのと同じ、自己表現でありエネルギーの放出だ。それは非生産的な1つのアクション、たとえばニートであることや、ひきこもることもそうであるような、無目的的で積極的なアクションだと思う。
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