Sat.

魅惑の曲線

 鬱陶しく長い梅雨も終わったようなので、さっそくガキを連れてプールに行ってきた。まあまあ大変な混雑で、ゴザを敷いたりテントを張ったりして消毒薬を入れたちっぽけな水たまりの周りに大勢の人たちが群がっていた。かつてタイのビーチリゾートで、ボロいバンガローに泊まって何日も読書や惰眠をむさぼっていた僕が、市民プールなどというところで、高い金を払って夏の一日を過ごすことになろうとは思いもしなかった。ひょっとして僕はどこかで人生の選択を間違えてしまったのだろうか……(笑)。
 それでも思いもよらぬ美しいものにプールサイドで出会うことになった。……若い女たちのビキニ姿である。(自分で言うのもなんだが……ずいぶんオヤジ臭い書き方だ。)どうしたというのだろう? そんなもの何度も見てきたし、それに取り立てて反応することもなかったはずだ。タイでは白人女性がトップレスでビーチを闊歩していた。だけどそれを眺めても欲情することなどなかった。なのにこの市民プールで見た女の体のなまめかしさは一体何なんだろう?
 白い肌と、細い腰からお尻にかけての絶妙な曲線はほとんど奇蹟だ。この奇蹟的な形態を、よき芸術作品のそれのように何度も何度も目で辿りたい……ああ、できることならこの奇蹟を心ゆくまで愛撫し、味わい、堪能したいと思う。
 こんなに女の体が眩しく映るってのはどういうことだろう? つまり僕のオヤジ化現象が進行したってことだろうか? ……と思って少し考えてみた。

 ようするに僕の女房がこの奇蹟的な曲線を持ち合わせていないってことが問題らしい。なんで僕はプールで出会ったこのような美しい腰を抱けないんだろう? というヒリヒリと焼けつくような感情が自分の中にあることに気がついた。美しい腰の曲線を味わおうと思えばできたはずなのに、いま現実に僕がいつも抱いているのは……肉の浮き輪をつけた女房の腰なのだ。こんなはずではなかった……(涙)。
 ………何のことはない、つまりこれはあの「羨望」という感情なのではないのか? タイのビーチで惰眠をむさぼっていたとき、僕はまだ若かったし、もちろん結婚などしていなかった。美しい腰を味わう可能性は目の前に開かれていたのだ。どうしようもない劣情に襲われたなら呆れるほどたくさんいる美しい売春婦たちの世話になればいいだけのことだった。
 ところがいま僕にはそのような選択の自由がない。どんなデーモンのささやきに惑わされたのか……僕は結婚し、だんだん膨らんでゆく浮き輪を愛撫できるだけになってしまった。いやいや、結婚は妻以外の女との関係を拒絶するものではないだろうとか、女を所有することを意味しないとか、はては婚姻制度自体が廃棄されるべきなのだとかいう原則的な議論が問題なのではない。気性が荒く、異常に嫉妬深いタイ人の妻の前で他の女と関係を持つことは命がけの行動であり、チキンハートの僕にとって他の女の絶妙な腰の曲線を味わうという可能性は、(離婚でもしない限り)現実的にはカフカの『掟の門』のように閉ざされてしまっているのだ。(夫の浮気を知ったタイ人の妻が、逆上して夫のナニをちょん切ってしまった………みたいな話をよく聞く。ところがタイの男たちは浮気をやめないのだという。すごい人たちだ……。)
 どうもそんな理由で女のビキニ姿が眩しく僕の目に焼き付くようになってしまったのではないだろうか? 想像以上に現在の日常が僕には息苦しいものになってしまっているのかもしれない。

 プールサイドで出会った美しいもの………それは僕の満たされぬ欲望の産物だった。もっとも欲望が過不足なく満たされている人などいない。だから男を魅惑する美しい腰の曲線を持った女をエスコートする男だって満たされているわけではなく、どこか居心地の悪いものを感じているはずだ。案外魅惑の曲線を味わうことなんてそれほど楽しいことではないのかもしれない………と理屈では思う。しかし僕の頭の中では白い肌と魅惑の曲線を我を忘れて味わう男たちの姿が、ビキニの女たちとセットでついてまわっている。セックスの経験のないニキビ面の童貞少年の空想の中のように妄想が爆発している。もう42歳だっていうのに……。
01:22 | 日記・その他 | comments (15) | trackbacks (0) | page top↑