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前衛の道

 日本の近代美術が一番盛り上がったのは、戦後の50〜60年代だと思う。学校の美術の教科書にはたいてい、黒田清輝とか青木繁あたりから始まって、輸入されたフォビズムやキュビズムの大家たち(梅原某とか東郷某などの)のカビ臭い、ブルジョワチックな絵画が日本の近代美術の系譜を形作っているように書いてあったものだ。最近の教科書は知らないが、多分まったく紹介されていないであろう、「読売アンデパンダン展」の若き前衛たちの時代、「ネオダダイズムオルガナイザーズ」、「ハイレッドセンター」などの活躍した時代こそ日本の近代美術の絶頂期だったと思うのだ。もう戦前からのカビ臭い流れとは断絶した、地に足の着いた若いエネルギーの爆発、、、としか言いようのないガチャガチャした雰囲気が私は大好きだ。私はあの時代に青春を送るべきではなかったのか、とよく思う。現在のようにポストモダンチックで、威圧的なほど清潔なビルが立ち並び、ディズニーランドのようにあらゆるものの表面を何かで塗りこめられたような都市空間で芸術することは不幸なのではないか? あの時代の痛快極まりない記録を見たり読んだりすると、そんなことを思ってしまう。、、、もちろん冷え冷えとした現在のポストモダン空間を人間臭い彩りの舞台へと変えてしまうことだってできるはずだ。いやそうすべきなのだ。おそらく前衛芸術とはまた断絶した形で、、、
 ところでこの時代、後に出世してゆく、いろいろ面白い人たちも出ている。荒川修作、赤瀬川源平、中西夏之、などなど。で、私は今、会社の休み時間なんかを利用して、こんなものをボチボチ読んだりしている。
 岡本太郎もかっているというこの篠原有司男という人は、まさにこのガチャガチャとした時代の象徴のような存在なのだろうと思う。ああ、私にもこんなハチャメチャさがあったなら、、、といつも思うのだ。今では70過ぎの老人のはずだがこの若々しさは驚異だろう。だが、キャラクターの面白さにもかかわらず、私はこの人の作品を一度も面白いと思ったことがない。いつまでも前衛芸術していることは退屈じゃないのだろうか。もういいかげん芸術にこだわらなくていいのじゃないか、、、単純にそう思う。

 (篠原の初めての個展での岡本太郎とのやりとりがほほえましい。それにしても岡本太郎が、当時の若い前衛たちの面倒をまめまめしく見ていたというのは意外でもあり、ちょっと心に沁みるものがある。ハイレッドセンターの展覧会にも一番に駆けつけテープカットを行っているし、荒川修作は母親のように気遣ってくれたというエピソードを紹介している。日本の前衛はみな太郎の子供たちなのだ。)
22:52 | アート・建築・デザイン | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑