06.01.2005
代替不能性
内田樹さんの批判の夢中になってるうちにやらねばならない仕事がたまってしまったよ。今受けてるのは劇場版『鋼の錬金術師』の仕事です。けっこう人気あるみたいだね………これ。
書きたいエントリーは山ほどあるのですが、1週間ほどストップします。これから「かけがえのない」仕事を「選び」の意識を持ってこなしてゆきま〜す。……ってなんか嫌味なこと書き過ぎかなオレ?
書きたいエントリーは山ほどあるのですが、1週間ほどストップします。これから「かけがえのない」仕事を「選び」の意識を持ってこなしてゆきま〜す。……ってなんか嫌味なこと書き過ぎかなオレ?
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Comments
家内が、音楽の業界について「なんで、神輿に乗せられた能無しばかり、がっぽがっぽ儲かって、神輿を担がされている能有りが、無茶苦茶搾取される羽目にならなきゃいけないの?」って言ってます。荒井師匠の業界もこんな搾取の構図があるのでしょうか?
また、暇になったら教えてください。ではでは。またまた。
原作たそがれ清兵衛さん、お気遣いありがとうございます。来週早々にも復活できる見込みです。
そうですねえ。本物はいつだってつらい思いをしなければならないというのは、セザンヌやゴッホの時代から変わることのない真実で…………と言いたいところですが、私の仕事は単なる熟練労働ですから、早くてうまければ(牛丼屋みたいですが)その分稼げるってだけの話ですね。私自身のことを言えば、うまくはないけど仕事の手が早いのが売りですので、その線でなんとか生き延びているって感じです。
私自身のことを言えばアニメには全くと言っていいほど思い入れはありません。ま、労働の対象に過度な思い入れは危険とすら考えていますから、敢えて距離をとっている、という面もありますが。
とはいうものの、私の関わった仕事を見てくれている人がいるというのは、やはりうれしいものです。ちなみに「攻殻」のほうの仕事も何回か受けてますので、エンドロールをチェクしてくだされば、私の名前を見つけることができるかと思います。
それとまだ確定ではありませんが、「鉄人28号」の劇場版の仕事を手伝う可能性が出てきました。……ああ、がんばって稼がねば(笑)。
ともあれ、お久しぶりです。
リンクを貼っていたのですが、
実は貼った原因を忘却しました(若年性か)
お仕事の話で鋼とか、荒井師匠とか話題に上ってて、
今やっとアレ?と気付きました。。
・・・今更ですが驚きました。
お仕事頑張って下さい。
みなさん、大将にお仕事させてあげてください。!
大将が体潰して、死んじゃったら大変ですから!!。
原作たそがれ清兵衛さん、おはようございます。たった今仕事にケリがつきました。昼頃納品して一休みです。ご心配をおかけしたようですがもうだいじょうぶです。サッカーも勝ったみたいだしぐっすり眠れそうでーす!
ハンドルネームをキチンとしまして。
原作たそがれ清兵衛さま。
音楽にまつわるややこしさの一つに、「大勢の人達に認められれば、懐が潤う」という事実の短絡化があると思います。
ストリートミュージシャンや音楽家自身が自分のオーナーである場合を除いて、
音楽家の第一のお客は、雇用者であります。
大勢の人がお金を払う先は雇用者とか仕事を依頼してきた会社でありまして、
音楽家はそこからお金を受けとりますので、認められるのは演奏の腕前であっても、
受けとる金額の多寡は相手にお金を出させる才能とか、自分を売り込む才能に左右されます。
以前別なサイトで、製作会社と制作会社の違いを教えてもらったことがあります。
どういった方向性の話しを、どれくらい予算をかけて、どの時間帯に放映するかを決めるのが製作会社、
そこで決定され、仕事を依頼され、現物を作るのが制作会社であり、
制作会社は製作会社>視聴者である、とかいろいろ。
制作と制作、逆かも知れませんが。(^^;)
関係者には当たり前すぎるくらい当たり前なことでも、知らない者には一筋縄にはいかない、
フクザツな世界に見えます。
まあ、相場屋さんの世界も同じで、海○さんや、武○さんみたいに自分よりさらに無能な大衆に直接安心と娯楽を供与できたら、プライバシーとの引き換えを条件にさえすれば、結構いい収入になるといえばそれまでなのですが・・・。でも、だからこそ、相場屋さんも、世界に通用するレベルになれないのでしょうね。書いていたら、頭の中の整理がちょっとついたかな? こういうノリで書く私を荒井さんは「酔っ払いオヤジ」と称されまして、私もその呼称がいたく気に入っております。
ところで、荒井さん。凄いですね。「攻殻」のテロップに名前が出てるのですか。ついに「先生」とでもお呼びすべきか?(・・・首絞められそう。) 「攻殻」って確かアダルト物ではなかったですよね。(・・・ピストルで撃たれそう) こちらでは流石に書けないと思いますので、「惜しくもないし守れない」さんや「某ロリコン巨匠」についてのご意見を、「読書会」か「あやしい」さんのブログででも、一度お聞かせくださいませ。「あやしい」さん、頃をみて、荒井さんにネタふってあげてくださいね。
で、その「惜しくもないし守れない」さんや「某ロリコン巨匠」って言うのは誰のことです? 押井守と、宮崎駿のことですか? ………いや、僕は何とも思ってないですよ。すばらしいエンターテイナーだって言うところです。アニメに関わらず映画なんてスペクタクルじゃないか、っていうのがあるので………例えばもっと通好みの、黒澤明とか、小津安二郎(でよかったのかな?)とかの評判のいい映画も「何だよ映画じゃねえか」って思っちゃうんです。いや映画だけじゃなく、いわゆる「芸術」全てが、なんですけどね。だから宮崎さんとかチヤホヤされてますけど、あまり興味がないというか、どうでもいいな、ってのが正直なとこですね。
それと「あやしい」さんって、はやしさんのことですか(笑)?
とまあこんな「承認」は「承認」として、もらうもんはちゃんともらってくださいねw
そこです。そこが僕はひっかかります。
今後疑問に思った事は聞いてみるようにしましたので あしからずです。
荒井さんにとって、理想の日常ってどんなですか?
世の中に映画も、音楽も、絵画も無くていいんですか?
ただ、日がな、ボーっとして、社会の事について考える
というのが生きているということですか?
そうかあ、これが相互承認なわけですね。こうやって「攻殻」見てます、なんて言われるとうれしいわけですけど、職業的な承認のみで人間を判断しちゃだめってことですよね。
最近やった「攻殻」の仕事といえば………台湾の町並みを描きましたねえ。あと、確か最終話(だったかなあ)で、壊れた工場の地下室みたいなところのシーンをやったのを覚えてます。
その通りです! ………だけじゃあ答えにならないだろうから、逆に聞くけど、君の日常から映画や音楽や絵画がなくなったら、もう君の人生はボーッと生きてるだけになってしまうのですか?
そうだなあ、例えば吹雪の中で生きるエスキモーとかさ、砂漠を放浪する遊牧民とかさ、あるいは映画なんてなかった時代の人たちの日常って、退屈なものでしかなかったのかなあ? そのへんどう?
ただ、現在の日本で、そのように生きようとしたら、どうしたらいいんでしょう。また そういうことが出来るんでしょうか。
例えば、東京でエスキモーが生きているような充実があるんでしょうか。
で、どーでもいいことついでに「アンリ」が「オンリ」に聞こえるってことに関して一言。フランス語ではanとかenの綴りは「アン」と「オン」の間若干「オン」よりで発音するんですね。だから、Henriは「オンリ」と聞こえる。さらに、Hayashiは単に「アヤシ」になるだけであって、「オヤシ」にはなりません。
というわけで、荒井さん、原作たそがれ清兵衛さんの野望は脆くも崩れ去るわけです。
今ふと思ったんだけど、カテゴリに「中西夏之」が独立してあるのがさりげなくとんでもない。
はやしさん、あのゲリラ教授って、某M大将のことなのか、はやしさんの事なのか、それとも第三者のことなの理解できていません。(・・・また、天然ボケです。) 教えてください。
荒井さん、たて続けに関係ないこと書いてすいません。
本日久々に、私のカキコに家内の検閲が入りました。
はやしさんは、絶対にあやしくないというより、あやしいの対極に位置する人だと家内が申しておりました。それから、音楽の件ですが、はやしさんの知識と見識は全く正確で、私は一体家内の話のどこを聞いていたのかと、しかられました。
(荒井さんのブログへの私のカキコには検閲が入っていないもようでした。)
そう、そういう充実は闘いとらなければならない………。
つまり君が言ってるのは「文化」の価値についてだと思うんだ。僕ももちろん文化を否定する気はこれっぽっちもない。ただ今現在文化って言われてるのは、商品としてつくられた文化でしかなくて、それが僕には面白くないんだ。
映画にしろ何にしろ、売れるものをつくらなければいけない……文化をつくることは欲望を解放することではなく、商品を生産する労働になっちゃってる。また文化を受け取る側はお金を払ってそれを消費する、ということになる。これが資本主義の文化の虚しさだと思うんだ。
資本主義以前の例えば君が言ってる大自然の中で生きてた人たちの文化っていうのは、商品の生産や消費ではなかったのであって、もっと人間の欲望がストレートに解放された……やりたいことやってくれちゃったみたいな……そういう面白さがあったと思うんだ
資本主義社会は金儲けがすべてだから、そういう欲望の解放とかエネルギーの浪費みたいなことを認めない。で、その埋め合わせに商品としての文化がある、というのが僕の認識なわけ。
だからそういう資本主義以前の文化のあり方を支持する僕としては、商品としての文化にはさっぱり面白さを見いだせない、というのが正直な気持ちなんだ。いや、面白い映画とか音楽とかがあるのは認めるけど、スタンスとしては商品化していない文化の形を目指しているんだ。
で、そういう文化っていうのは結局、反資本主義的なものになるだろうって思うわけ。それで例えば左翼的な社会運動とか、ニートとか引きこもりとか不登校みたいな反社会的で、穀潰し的なものこそが、エネルギーの浪費…………つまり古い意味での文化のありかたへの鍵になると考えてるんだ。
そう考えるとさ、「ただ、日がな、ボーっとして、社会の事について考える」みたいな「無為」であるってことは立派な「文化」なんじゃないかって思うんだけど、どうだろう? そういう無為の価値みたいなものを社会に突きつけるのが僕の考える芸術であり、戦いなんだ。
で、うん、ほんとおれあやしくないと自分でも思う。むしろ、開けっぴろげというか、装い知らずというか、そんな感じで、まあ、そういう「オープンさ」が逆にあやしいんじゃい、って言われちゃうと、そうですかねえ、と言うしかないんだが。
いやあ、はやしさんに切り返されちゃいましたよ〜。原作たそがれ清兵衛さん、また体勢を立て直して出直しましょう!
え? 中西夏之ですか? そうなんですよ。作品をつくらない芸術を求めているにも関わらず、中西氏のこのタブローが面白くってしょうがないんですよ。自分でも不思議なんですが………。
納得して感動もしました。
「穀つぶし的日常」というのはいいかもしれません。
私は多分、今後も今まで通り資本主義の商品の中で
生きていくのでしょうが、荒井さんの思想に共感している部分もあります。
していない部分もありますが(笑)
今回荒井さんが書いてくれた文章について、自分は長く考え
それを元に生きていくのかもしれませんね。多分。
というかそうするかもしれません。
でも僕だって資本主義の商品の中に生きてくのさ。けっこう僕の言い方をとらえて資本主義の外に出ることなんてできるわけがない、みたいなコメント書いてく人いるけど、そんなのあたりまえなんでさ。ただそういう外部を考えてみることでそれこそ資本主義の商品の中に没入してる状態から一歩距離をとれると思うんだよね。で、そこから新しい方向性を出せるんじゃないかって思うわけなんだけど………。ま、そのへんはこれから考えるとしよう!
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