05.17.2005
第三世界の子供を蝕む日本の映像産業
この僕は一応、日本の映像産業界の末席を汚す存在である。世界を席巻する日本のアニメーションの制作にたずさわるものとして、いつも感じていることがある。「アニメなんか見てる と子供の頭はパッパラパーになっちゃうぞ!」 はっきり言ってアニメだけに限らず映像産業の役割というのは、寝た子をさらに深く眠り込ませるたぐいのものだ。巧妙に作り込まれた見せ物的なドンチャン騒ぎの中に子供を、いや大人までを巻き込み、捏造された永遠の現在の中に、目覚めることのない夢を見続けさせること。それが映像産業のミッションである。
僕はそのミッションに加担することで生活の糧を得ている。まるで、軍事兵器の製造工場で働く労働者のように、心の奥底に罪悪感を忍ばせながら毎日働いているのである。
………なんていう冗談(いや、あながち冗談では済まないわけだが)はおいとくとして………タイにすっぽってある僕のガキが、しばらく見ない間にずいぶん大きくなってたのはいいが、すっかりウルトラマンとかガオレンジャーなんかにご執心なのだ。
バンコクのセブンイレブンでウルトラマンのVCD(日本で言うところビデオ)が売っていて、それを子供にねだられた。家に帰るとほかの子供たちと一緒になってこのVCDに釘付けになっていた。日本のウルトラマンの吹き替えものかと思ったら、タイで作られたものだった。………これがまたひどい出来なのだ。
学芸会もびっくりの子供たちの演技、しかもヒーローはウルトラマンじゃなくて、ハヌマンという(確か)ヒンドゥー教の猿神なのだ。
こいつが右腕を突き上げた例のポーズで「ジュワッ!」とではなく「ハヌマ〜ン」とかいいながらPAN UPしてきたときにはズッコケてしまった。
まず古代遺跡の盗掘団を主人公の少年が発見し追いかけるところから話が始まるのだが、いきなり少年は盗掘団の親分に拳銃で頭を撃ち抜かれ殺されてしまう。その遺体を曇った空から突然現れた巨大な「手」が天へと連れ去ってゆく。(ダリもビックリの超現実的イメージだ。)天上でウルトラの兄弟たちに念を送られて、殺された少年はハヌマンとして復活する。不思議なことに悲劇的な死を遂げた少年の生まれ変わりであるにも関わらず、このハヌマンはコミカルな3枚目の芸風なのだ。
タイ語のドラマであるため細かいストーリーはわからなかったが、3匹の怪獣が現れていよいよハヌマンが地球を守るために登場する。戦いのシーンになると僕のガキは立ち上がって後ずさりをしながら画面に見入っている。このチンケなドラマも子供にとっては立派なスペクタクルなのだ………。
はじめは優勢に戦っていたハヌマンはだんだん追いつめられてゆく。そこでやっとウルトラ兄弟が応援に駆けつける。
まあ、こうなってしまっては怪獣は敗れ去るしかないわけだが、ウルトラマンたちは正義の味方とは思えないありさまで、最後の一匹の怪獣を取り囲んで袋だたきにしていた。
戦いが終わってハヌマンはウルトラ兄弟たちと肩を抱き合い、固い握手をする。なぜだかハヌマンはタイ語と英語と日本語の三ヶ国語でウルトラマンたちにお礼を言っていた。(一体ウルトラマンは何語をしゃべるんだ? それに誰のために3カ国語を使ってるんだ? 意味わかんねー。)ウルトラマンたちは体をまっすぐに伸ばして格好よく宇宙へと帰っていくのだが、ハヌマンが空を飛ぶ姿と言ったら、それはそれは文字では伝えられないほど情けない格好だ。
タイの子供たちはこんなの観て満足なんだろうか? 30年以上昔に作られた日本のウルトラマンやウルトラセブンの方がよっぽど出来が良かったような気がする。
まあ問題はというと、そんなウルトラマンに夢中の僕のガキはオモチャ屋さんの前を通るたびに「ウルトラマン(タイ語の発音ではウンタラメーンになる。)が欲しい!」とタイ語で大騒ぎなのだ。必死の形相で大きなウルトラセブンの人形を抱えて離さない。げんなりした親をよそに、オモチャ屋のねえちゃんだけがニコニコ顔で次々と「こんなのはどう?」とばかりにいろんなウルトラマンを持ち出してくる。………結局ウルトラセブンの人形を買って一件落着。
こういうウルトラマン人形はライセンスなんかどうなってるんだろう? 円谷プロに売り上げの何%かバックされるんだろうか? なんて考えながら金を払った。たかが一体350バーツ、日本円にして千円ぐらいのことではあるが………。
結論。『第三世界の子供を蝕む日本の映像産業』なんて仰々しいタイトルをつけてしまったが、これは間違い。本当のタイトルは『第三世界の子供の親のフトコロを蝕む日本の映像産業』が正解。
ところで、このウルトラハヌマン映画の正体が明らかになりました。抱腹絶倒のレビューはこちら>
『ハヌマーン / ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団 前編』
『ハヌマーン / ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団 後編』
僕はそのミッションに加担することで生活の糧を得ている。まるで、軍事兵器の製造工場で働く労働者のように、心の奥底に罪悪感を忍ばせながら毎日働いているのである。
………なんていう冗談(いや、あながち冗談では済まないわけだが)はおいとくとして………タイにすっぽってある僕のガキが、しばらく見ない間にずいぶん大きくなってたのはいいが、すっかりウルトラマンとかガオレンジャーなんかにご執心なのだ。
バンコクのセブンイレブンでウルトラマンのVCD(日本で言うところビデオ)が売っていて、それを子供にねだられた。家に帰るとほかの子供たちと一緒になってこのVCDに釘付けになっていた。日本のウルトラマンの吹き替えものかと思ったら、タイで作られたものだった。………これがまたひどい出来なのだ。
学芸会もびっくりの子供たちの演技、しかもヒーローはウルトラマンじゃなくて、ハヌマンという(確か)ヒンドゥー教の猿神なのだ。
こいつが右腕を突き上げた例のポーズで「ジュワッ!」とではなく「ハヌマ〜ン」とかいいながらPAN UPしてきたときにはズッコケてしまった。
まず古代遺跡の盗掘団を主人公の少年が発見し追いかけるところから話が始まるのだが、いきなり少年は盗掘団の親分に拳銃で頭を撃ち抜かれ殺されてしまう。その遺体を曇った空から突然現れた巨大な「手」が天へと連れ去ってゆく。(ダリもビックリの超現実的イメージだ。)天上でウルトラの兄弟たちに念を送られて、殺された少年はハヌマンとして復活する。不思議なことに悲劇的な死を遂げた少年の生まれ変わりであるにも関わらず、このハヌマンはコミカルな3枚目の芸風なのだ。
タイ語のドラマであるため細かいストーリーはわからなかったが、3匹の怪獣が現れていよいよハヌマンが地球を守るために登場する。戦いのシーンになると僕のガキは立ち上がって後ずさりをしながら画面に見入っている。このチンケなドラマも子供にとっては立派なスペクタクルなのだ………。
はじめは優勢に戦っていたハヌマンはだんだん追いつめられてゆく。そこでやっとウルトラ兄弟が応援に駆けつける。
まあ、こうなってしまっては怪獣は敗れ去るしかないわけだが、ウルトラマンたちは正義の味方とは思えないありさまで、最後の一匹の怪獣を取り囲んで袋だたきにしていた。
戦いが終わってハヌマンはウルトラ兄弟たちと肩を抱き合い、固い握手をする。なぜだかハヌマンはタイ語と英語と日本語の三ヶ国語でウルトラマンたちにお礼を言っていた。(一体ウルトラマンは何語をしゃべるんだ? それに誰のために3カ国語を使ってるんだ? 意味わかんねー。)ウルトラマンたちは体をまっすぐに伸ばして格好よく宇宙へと帰っていくのだが、ハヌマンが空を飛ぶ姿と言ったら、それはそれは文字では伝えられないほど情けない格好だ。
タイの子供たちはこんなの観て満足なんだろうか? 30年以上昔に作られた日本のウルトラマンやウルトラセブンの方がよっぽど出来が良かったような気がする。
まあ問題はというと、そんなウルトラマンに夢中の僕のガキはオモチャ屋さんの前を通るたびに「ウルトラマン(タイ語の発音ではウンタラメーンになる。)が欲しい!」とタイ語で大騒ぎなのだ。必死の形相で大きなウルトラセブンの人形を抱えて離さない。げんなりした親をよそに、オモチャ屋のねえちゃんだけがニコニコ顔で次々と「こんなのはどう?」とばかりにいろんなウルトラマンを持ち出してくる。………結局ウルトラセブンの人形を買って一件落着。
こういうウルトラマン人形はライセンスなんかどうなってるんだろう? 円谷プロに売り上げの何%かバックされるんだろうか? なんて考えながら金を払った。たかが一体350バーツ、日本円にして千円ぐらいのことではあるが………。
結論。『第三世界の子供を蝕む日本の映像産業』なんて仰々しいタイトルをつけてしまったが、これは間違い。本当のタイトルは『第三世界の子供の親のフトコロを蝕む日本の映像産業』が正解。
ところで、このウルトラハヌマン映画の正体が明らかになりました。抱腹絶倒のレビューはこちら>
『ハヌマーン / ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団 前編』
『ハヌマーン / ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団 後編』
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Comments
というのも、おれちっちゃい頃、見たことあるんですよ、ハヌマーン。
それとも、テレビで放映、とかではなく、「ウルトラ大百科」とか、その手の書籍だっけかなあ……。
うろ覚えな、しかも実りのない情報提供(?)ですんません。
実写版ですよ。
なんか、映画館かどこかで見た記憶がありますねぇ・・・。
ネパールはヒンドゥー教の国ですが、ハヌマーンはあまり見かけませんでした。ハヌマーンがヒンドゥー教であることは間違いないですが。ハヌマーンドカと呼ばれるものもあります。
ただし、私が個人的にすきなのは、象頭のガネーシャですね。
あ、『白猿ハヌマーン』でweb検索すると、映画のことがありますよ。
僕は荒井さんの絵は大好きです。
それが商業作品と言えども。
けれど、荒井さんの考えてることがよくわかりません。
荒井さんが日本の映像産業の末席を汚す存在とは僕は思いませんが、
荒井さんがそう書いてるので率直に聞いてみたいのです。
なぜ、映像産業の末席にいるのですか?なぜ、加担してるのですか?
資本主義を批判しながら、そこにいるのはなぜですか?
ないってこと? よかったらもうちょっと詳しく書いてみてもらえるかな?
って聞いてみただけなんですけど。僕が知りたいのはその加減だったのでした。
荒井さんの文章だけ見てると、文体が大仰なせいか、これは大変なこ
とだと思うのですが、「ケチをつける」という言葉で分かったような気がし
ます。荒井さんの文章だけ見てると、地球上に生きていけないようなカンジがしてしまうのですが、実際そうじゃないですよね?
うまくいえないですが、悪い意味でないですよ。
荒井さんは芸術家だから、あえて大仰な方向にいってるのかも
しれませんが、見ている方からしてみると、そういうレベルにいないと
いうか(笑)。もっと日常レベルにいますから。
恐らく資本主義の中に恐らくどっぷりつかってるのだろうし、
荒井さんの文章を見てると、自分の中でどう折り合いをつけたもの
かと思うのは、その、咀嚼の加減です。
それはこっちの問題ですが。こういう先輩をもったのだから、そういう
ことも考えなくてはいけません。
自分にとっては 日常生活のレべルで、荒井さんの言ってる事を考える
と言うのが折り合いのつけ方 なんだろうなア、、と思います。
むしろ、最も僕が恐れているのは、生活への配慮をすることで、逆に自分の日常や人生そのものがつまらないものになってしまうことだ。
資本主義が世の中をつまらないものにしている元凶だ、っていうのがとりあえず僕の立場ではあるんだけど、そんな社会を変えるっていう夢みたいなものはよそに置いとくとしても、そういった社会の分析をダイレクトに、また大仰に主張することで逆にいろんな反発や批判を受けて、それに対したまた切り返したり、自分の考えが修正されたり、その結果人生が思わぬ方向に転がって行ったりっていうことが何ともスリリングで面白いんだ。つまり、大仰な書き方っていうのは、ある意味「つり」みたいなものなんで、敢えて行っているという面もある。だから左のトラックバックにもいろんな批判がきてるわけだけど、それは想定の範囲内(笑)のことで、どうやって切り返すか楽しみですらある。
それに僕の考えが誰かに何らかの影響を与えて、少しでも面白い世の中を作る方向へ動いたとしたら、それはそれでいいことだと思うし………。
だからそういったワクワクするような面白さのためには、やはり自分が生活しづらい状況に追い込まれて行くってのは、いたしかたない、ある意味必要な条件なんじゃないかって覚悟してるんだ。
あります。扇動されまいという意識が働いて。
でも、こういうコメントが見れて良かったです。
読み込まなくてもよく分かるような気がします。
大仰なものより、なんとなく爽やかで柔軟な今回の言葉が僕は好きで
す。ナマイキいってすみません。
たまには釣られてみてもいいかな。。なんて
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