Tue.

仄暗い記憶の底から 2

 僕が初めて訪れた外国は、韓国だった。ソウルオリンピック直前だったと思う。’85年プラザ合意のあと円高が進行し、バブルなんて言葉はまだなかったが、好景気が続いていた頃だった。たしか地上げなんてのが社会問題になっていた。そんな経済状況の影響なのか、大学生なんかも気軽に海外旅行に出かけるような時代になっていた。
 当時、僕はフリーターだったが、仕事先には大勢大学生がバイトに来ていたので、彼らと付き合いが深かった。何人かで韓国へ旅行に行くらしく、「地球の歩き方」を持って彼らは計画を立てていた。それを見たときから急に韓国旅行の夢が僕の中で現実的になった。
 実は僕は韓国に興味があった。岡本太郎の韓国の紀行文を読んで影響を受けていたこともある。また当時の韓国は民主化運動が盛り上がっていた頃で、連日のようにそのニュースが報道をにぎわせていた。何か激しいエネルギーを秘めた国、という印象だった。今の日本にないもの、今の自分に欠けたもの、韓国を訪れることでそんなものに出会えるような直感があった。
 大学生の友人たちは、旅行に一緒に誘ってくれたが、僕はそれを断った。友達と海外旅行をするということは、日本での日常を外国まで引きずって行くということだ。それじゃあ意味がない。少しでも多く外国人と接するために、訪れた国の中に埋没するために、少しでも日本の日常から離れるために、僕は一人旅でなければならないと思ったんだ。そうしてこそ新しい自分を発見できると思ったからだ。

 旅は日常からの脱出だ。通過儀礼のように、山ごもりの修行のように、旅するものは孤独と危険を背負って歩かなければならないのだ。非日常をめぐる航海から日常生活へ舞い戻ったとき、旅するものは日常を新たな視点からとらえることのできる力を手にするのだ。
 はたして僕の旅がそのようなものであっただろうか?
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