Thu.

ストレンジャーの誕生?

 私のガキが日本から輸入したレトルトのカレーを食べたいとのことで、会社帰りに買い物。さらにワールドトレードセンター横の伊勢丹へ寄り道。本を買う金もないのだが、紀伊国屋書店詣でもする。けっこう思想ものに飢えてるせいで、日本では見向きもしなかった本を手に取ることが多い。実は一度も読んだことがない柄谷行人や山口昌男などの文庫本が私を誘惑する。。。その近くに赤坂憲雄の「結社と王権」という本があった。こんな本も出してたのか、、、と思って、手にとってパラパラと中を見る。ずいぶん昔、赤坂憲雄の書いたものを熱心に読んだものだった。この本もなかなか面白そうだなあ、久しぶりに、、、と食指が動いたが、500バーツぐらい(2000円近く)するので、あきらめてその日はアパートに帰った(財布には200バーツしかなかった)。
 しかしその後もなぜかその本を読みたくて仕方がない。そうだ、どうせ女房に賭け事ですられてしまうのなら、その前に奮発して買っちゃおうか、、、なんて思い始めて(慎ましくてかわいいぞ、俺)、アマゾンの書評をチェックしてみようと、翌日ネットを会社でいじっていると、あれっ、赤坂さん、ちょっと私が日本にいない間にこんな本を出していたんだ!

 「岡本太郎が見た日本」、、、しかも書評(その1その2)には、赤坂が岡本太郎に惚れ込んだ、その恋文がこの本である、という内容が書いてある。つまり赤坂憲雄は岡本太郎を「発見」したということなのか?、、、つ、ついに来たのか? と何故かドキドキしてしまった。残念なことにバンコクにいてはこの本を読むことは出来ないので、あとは日本に帰ってからのことになってしまうのだが。。。

 上でも書いたとおり、以前私は熱心に赤坂憲雄の異人論を読んでいた。内部と外部、中心と周縁など、文化人類学の概念も赤坂から学んだ。新鮮で鋭い論考だったし、文章もうまかった。しかし、中世史の研究をしたり民俗学者を名乗ったりいている赤坂に、だんだん物足りなさを感じてきて、こんな批判的乗り越えの一文を書いてみたりした(「祭りの戦士」という言葉もこの一文を書いているときに思いついてブログのタイトルに使ったのだ)。ま、ようするに学者として異人論を云々するよりも、自らが近代社会の異人(ストレンジャー)であるべきではないのかと、自分の進む方向を宣言してみたということだ。

 赤坂の読者であれば、彼が岡本太郎のどのあたりに共感を覚えたのか想像がつく。おそらく「神秘日本」「忘れられた日本」などのルポにはビリビリ来たはずである。書評を見ると「グローバル化で世界が急速に均質化する中、同じ危機感を共有する著者」なる言葉があるが、私も赤坂憲雄の言葉の中に均質化する近代への憤りが冷たい炎のように燃えているのをずっと感じていた。なによりそこが赤坂の一番面白いところだと今でも思う。だからこそ私は、岡本太郎の「発見」が彼の仕事を新しい次元に飛躍させるのではないかと期待してしまう。ひょっとしてこの民俗学者の内なる冷たい怒りは、爆発へと姿を変え、学者の枠を超えて私たちもビックリするようなストレンジャー(そして/あるいは戦士)となって、グローバル化する社会の中に出現するのではないか、などと妄想してしまうのだ。ホント、日本に帰ってこの本を読むのが今から楽しみだ。
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